第37回日本史講座のまとめ④ (交通の発達)

4 交通の発達
1) 五街道
 参勤交代と産業の発達は、全国を結ぶ交通・運輸、通信制度の整備と発達を促した。陸上交通の幹線というべきものは幕府の道中奉行の支配下にある五街道であった。東海道・中山道・甲州道中・日光道中・奥州道中がそれで、街道には1里塚をおき、2~3里ごとにおかれた宿駅には武士の泊まる本陣・脇本陣のほかに庶民の利用する旅籠(はたご)や木賃宿があり、問屋場(といやば)を設けて人馬を常備し、公用旅行者の便がはかられた。
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(三省堂「日本史B」より)
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(東京法令「日本史のアーカイブより)
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(東京法令「日本史のアーカイブより)
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(東京法令「日本史のアーカイブより)
 五街道の起点・終点、あるいは宿駅の数ははっきり決まっているわけではない。普通に考えられているのは1811年の道中奉行の回答にもとづくものである。東海道(品川~大津53宿)、中山道(板橋~守山67宿)、甲州道中(内藤新宿~上諏訪44宿)、日光道中(千住~鉢石21宿)、奥州道中(白沢~白河10宿)。しかし東海道は大坂までと考えることもでき、奥州道中は江戸から青森まで、甲州道中は甲府までという考え方もある。中山道ははじめ中仙道と書いたが、東山道の中筋の道というので中山道と書くべきだと1716年に指示がでている。(山川出版 「日本史の研究」より)
 東海道などでは、近在の村に助郷役(すけごうやく)を課して、不足がちな宿駅の人馬をおぎなった。また継飛脚のほかに大名飛脚や町飛脚などの通信機関の整備も進み、通信網を広げていった。
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(東京法令「日本史のアーカイブより)
2) 水運・海運の発達
 人や馬による輸送には限界があったので、大量輸送には船が利用された。幕府は、大船の建造を禁止する一方、大坂に年貢米を安全に回送するために港や航路を整備した。17世紀はじめ、幕府は豪商の角倉了以(すみのくらりょうい)に富士川や天竜川・高瀬川などの水路を開発させ、17世紀なかばには、商人の河村瑞賢に日本海沿岸から琵琶湖を通らずに、下関を経て大坂にいたる西回り航路と、陸奥(むつ)から安房(あわ)を経由して江戸にいたる東回り航路を開発させた。この結果、河川にはいくつもの船着場(河岸)(かし)が設けられ、周辺の村々から運ばれてきた年貢米や産物が川船で河口の港まで運ばれ、港から拠点の港へは地方の廻船で、さらに菱垣廻船(ひがきかいせん)や樽廻船(たるかいせん)で南海路を大坂から江戸に運ばれるという流通網がつくられた。
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(東京法令「日本史のアーカイブより)
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(東京法令「日本史のアーカイブより)

 

 
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by YAMATAKE1949 | 2016-06-08 09:52 | 日本史講座 | Comments(0)