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第39回日本史講座① (元禄文化②)

3 歴史学・文学と実学の発達
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(東京書籍「日本史図説」より)
1) 歴史学
 儒学のもっている合理的・現実的傾向は、さまざまの学問に大きな影響を与えた。歴史学では確実な史料にもとづいて歴史を記述する態度が見られるようになり、林羅山と子の林春斎(しゅんさい)の手になる『本朝通鑑(つがん)』や、水戸の徳川光圀によってはじめられた『大日本史』の編纂のさいに古記録や古文書の蒐集・整理・考証がおこなわれた。山鹿素行の『武家事紀』は古文書を引用して歴史研究に新しい方法を示した。新井白石は儒学的合理主義の立場から政治の変遷と武家政権の発展を『読史世論(どくしよろん)』に著したほか、神秘におおわれていた日本古代史に合理的解釈を加えた『古史通』などを残し、さらに入国して捕らえられていたイタリア人宣教師シドッチの尋問(じんもん)をもとに、西洋の地理や風俗などを『西洋紀聞』で紹介した。
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(東京書籍「日本史図説」より)
2) 文学
 文学研究では、秘事(ひじ)・口伝(くでん)とされてきた和歌や古典の解釈を批判し、自由な解釈を求める者があらわれた。戸田茂睡(とだもすい)は中世以来つづく歌学の約束ごとの無意味さを指摘し、契沖(けいちゅう)は『万葉集』を研究して『万葉代匠記(まんようだいしょうき)』にまとめ、戸田茂睡の考えを支持して和歌を道徳的に解釈しようとした考え方を否定した。北村季吟(きたむらきぎん)も『源氏物語』など古典の意図を忠実に理解する研究を行った。彼らの研究は、その後、国学に発展していった。
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(東京書籍「日本史図説」より)
3) 自然科学
 自然科学でも、中国文化の模倣を脱し、日本の実情をくんだ実証的な研究がさかんになった。貝原益軒(かいばらえきけん)の『大和本草』は博物学的本草学の集大成である。宮崎安貞は中国の農書からの知識と長年の体験や見聞を生かして、体系的な農書『農学全書』を刊行した。薬草の名前や効能、動物や植物・鉱物などを研究する本草学(ほんぞうがく)や、東洋医学に系譜ををもつ古医方(こいほう)や南蛮医学をもとにした洋式医学が発展した。
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(東京書籍「日本史図説」より)
 天文学では渋川春海(しぶかわはるみ)(安井算哲)が中国暦をもとに天体観測して誤差を正した貞享暦(じょうきょうれき)を完成させ、1684年から公式の暦として幕府に採用された。
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(東京書籍「日本史図説」より)
 日本の数学である和算は、城郭建設や土木工事などの必要から発達し、吉田光由(よしだみつよし)が入門書として『塵劫記(じんこうき)を著した。和算は、その後、関孝和(せきたかかず)らが大成させたが複雑な難問を解く遊戯におちいってしまった。
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(東京書籍「日本史図説」より)
by YAMATAKE1949 | 2016-06-14 09:31 | 日本史講座