第39回日本史講座② (元禄文化③)

4 元禄文化の成立
 17世紀後半になると、全国市場の中心地である大坂や京都を中心とする上方で、新興町人らによって新しい文化が花開いたが、これを元禄文化と呼んでいる。
1) 文芸
 文芸では、小説である浮世草子が人気をえたが、とくに井原西鶴は上方町人の世界をとおして、営利や享楽の世を才覚で生きる人間を洗練された筆致でえがいた。
a0226578_8504455.jpg
(東京書籍「図説日本史」より)
 近松門左衛門は、人形浄瑠璃の脚本家として、世間の義理と人情、体面と意地にしばられながらも恋に生きる男女の悲劇をえがいた世話物や時代物を世に送った。それは竹本義太夫の語りと優れた人形づかいによって上演され、感動を与えた。
a0226578_8555311.jpg
(東京書籍「図説日本史」より)
a0226578_945373.jpg
(東京書籍「図説日本史」より)
2) 歌舞伎
 歌舞伎は江戸時代初期に風俗取り締まりの意味から女歌舞伎・若衆歌舞伎が次々と禁止され、男女すべての役を男優だけで演ずる野郎歌舞伎が元禄時代におこなわれた。その結果、踊りから物語に重きをおく演劇へと発展し、江戸では市川団十郎、上方では坂田藤十郎など個性豊かな役者が出た。
a0226578_913209.jpg
(東京書籍「図説日本史」より)
a0226578_9134277.jpg
(東京書籍「図説日本史」より)
3) 俳諧
 室町時代に連歌の余興として生まれた俳諧は、現実的で滑稽な庶民の生活詩であった。しかし、江戸初期の貞門(ていもん)派は形式に流れ、生命力に乏しいものとなっていた。これを再び庶民の生活にとけこませ、自由奔放な滑稽詩という立場を確立したのは西山宗因(そういん)のはじめた談林派の運動である。さらに、松尾芭蕉が庶民の言葉で深い詩情と閑寂の境地を表現する蕉風(しょうふう)を打ち立て、17音の発句(ほっく)だけによる俳諧を文芸として独立させた。
a0226578_9272154.jpg
(東京書籍「図説日本史」より)
4) 絵画・工芸
 京都の町衆の画風を学んだ尾形光琳(こうりん)が、絵画や蒔絵(まきえ)で光琳模様とよばれる華麗で優美な独特の装飾画法を生み出した。
a0226578_938730.jpg
(東京書籍「図説日本史」より)
 陶芸では、京都の野々村仁清(ののむらにんせい)が色絵を完成させて京焼(清水焼)の祖となり、また、仁清と兄光琳に学んだ尾形乾山(けんざん)はしぶみのあるすぐれた作品を残した。宮崎友禅は、布地に自由に染色できる友禅染の技法を完成させ、光琳模様を広める役割を果たした。
 江戸では遊女や役者・関取らをえがく浮世絵が登場した。はじめは肉筆だったが、菱川師宣(ひしかわもろのぶ)が木版の浮世絵版画を完成させると、安く大量に供給できるようになった。
a0226578_9442846.jpg
(東京書籍「図説日本史」より)
 
[PR]
by YAMATAKE1949 | 2016-06-15 09:44 | 日本史講座 | Comments(2)
Commented by desire_san at 2016-06-16 17:38
初めまして。興味深く拝見いたしました。
17世紀後半は日本美術詩においても黄金時代のひとつと言えますね。
この苔はオランダ絵画の全盛期でねあり、レンブラント、フェルメールなどの傑作が輩出しました、美意識にも共通のものがあるように思えます。歴史の偶然でしょうか。
Commented by YAMATAKE1949 at 2016-06-17 09:06
コメントありがとうございます。以前にもコメントを頂いており、desireさんのすばらしいブログを拝見させていただきました。私もベネルクス3国旅行記でレンブラントやフェルメールについて書かせてもらいましたが、おっしゃるように17世後半に傑作が出ています。この頃のオランダは世界貿易で最も繁栄した時代であり、それを背景に優れた芸術家が現れたのだと思います。また、この頃の日本は元禄時代という幕藩体制が安定し、経済的にも繁栄した時代であったという背景のもとに優れた芸術が現れたのだと思います。そういう面では両国は共通していたと思います。