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第39回日本史講座③ (幕府と藩財政の窮乏と百姓一揆)

 第13章 幕藩体制の転換
 Ⅰ 享保の改革
1 幕府と藩財政の窮乏と百姓一揆
1) 農村社会の変化
 18世紀にはいると、耕地の拡大や収穫量の増大により米の生産は増えたが、商品作物などの供給が都市人口の増大に追いつかずに値上がりした。しかし、農村では、肥料代の値上がりなど経費の増大もあって、農民の経営はいぜん苦しく、田畑を担保に借金し返済できない者が増えていった。そのため、田畑を手放して小作する農民が増大する一方、質流れなどの田畑を集めて地主となる者が生まれ、貧富の差が広がっていった。
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(東京書籍「図説日本史」より)
2) 幕府と藩財政の窮乏
 低迷する米価に対して諸物価が上昇したため、赤字に陥っていた幕府や諸藩の財政をさらに圧迫した。幕府の御家人や諸藩の下級武士らは俸禄米を担保に借金したり、内職で生計を維持せざるをえなくなった。諸藩では、年貢の増徴や商品作物に新税をかけ、また、商人には御用金を臨時に割り当てたりして、財源を確保しようとした。
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(東京法令「日本史のアーカイブ」よlり)
3) 百姓一揆
 諸藩の年貢増徴に苦しんできた農民は、年貢の減免や新税の撤回を求める百姓一揆を展開した。初期の百姓一揆には、村役人による越訴(おっそ)(代表越訴型一揆)が多く、18世紀には多数の農民が参加して集団の力で訴願を通す強訴(惣百姓一揆)が増加した。
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(東京法令「日本史のアーカイブ」よlり)
 近世を通じておこった一揆は2967件で、前期120年間に535件、中期70年間に686件、後期90年に1611件(合計2832件、年次不明135件)である。中期は幕藩体制の動揺期で、成長した農民達は村落の孤立性、藩の割拠性を乗り越えて広汎な団結をみせ、越後質地騒動(1722年)で2000人、美作津山の藩内一揆(1726年)で3000人、1738年の磐城平(いわきたいら)一揆で2万人、1754年の久留米一揆で20万人という大規模な連合戦線がつくられた。(山川出版「日本史研究」)
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(東京法令「日本史のアーカイブ」よlり)
by YAMATAKE1949 | 2016-06-16 10:44 | 日本史講座