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第42回日本史講座のまとめ④(文人画・写生画・錦絵の誕生

3 文人画・写生画・錦絵の誕生
1) 文人画
 文人趣味の浸透は、芸術のさまざまな分野に大きな影響をおよぼした。絵画では、漢詩文的素養と中国南画(なんが)を基礎にした個性豊かな文人画が生まれた。池大雅(いけのたいが)や与謝蕪村(よさぶそん)は、中国南画の画法に、伝統的な画法や西洋的な遠近法をも取り入れた独特の画風を創造した。
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
2) 写生画
 伝統的な絵画では、清の画家沈 南蘋(ちん なんびん)の影響を受けて、事物をありのままに描く写生画が広まった。伊藤若冲(じゃくちゅう)は尾形光琳の装飾性に写実性を加えて独特の画風を生み出した。円山応挙(おうきょ)は写生画的な画風を完成させ、蕪村に学んだ松村月溪(げっけい)(呉春)(ごしゅん)は応挙の影響を受けて写生画に転じ、四条派を形成した。
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
3) 洋風画
 西洋図画のさし絵や銅販画の真にせまる表現に魅せられた人々の間から、日本初の腐食銅販画(ふしょくどうはんが)を創製した司馬江漢(しばこうかん)や、『解体新書』のさし絵を描いた小田野直武(おだのなおたけ)らのすぐれた洋風画家が生まれた。
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
4) 錦絵
 画風革新の風潮のなかで、鈴木春信は錦絵とよばれる多色摺(たしょくずり)の画法を完成させ、浮世絵に一大変革をもたらした。特殊な色彩効果を上げる版画の技法が工夫されたので、絵師の才能を存分に発揮できるようになった。なかでも喜多川歌麿(きたがわうたまろ)や東洲斎写楽(とうしゅうさいしゃらく)は、上半身を大きく描き、市井(しせい)の美人や役者らを個性豊かに表現した大首絵(おおくびえ)の画風を創造した。
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)

 次回の第43回日本史講座は、7月9日(土)午後2時より行う予定です。
by YAMATAKE1949 | 2016-06-30 09:44 | 日本史講座