第43回日本史講座のまとめ②(農村工業の発達と地域市場の形成

 第14章 近世から近代へ
 Ⅰ 近代への胎動
1 農村工業の発達と地域市場の形成
1) 大御所時代
 11代将軍家斉(いえなり)は、松平定信が失脚してから政権をとり、1837年将軍職を12代家慶(いえよし)に譲って大御所と称し、いぜん幕政の実権を握っていた。これにちなんで完成の改革から天保の改革までの間、つまり文化・文政から天保にかけての約50年間を大御所時代と呼んでいる。
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
 家斉は側室を40人、子女を55人も持ち、大奥の生活にふけって政治への熱意を欠いていた。1838年の大奥には大御所付き606人、将軍付き279人、計885人の女中がいたという。このような生活は、幕府の財政難をはげしくした。しかも、その頃政局を担当した老中水野忠成(ただあきら)は賄賂政治家で、政治は腐敗をきわめ、綱紀はゆるみ、財政難克服の対策も出さず、貨幣の改悪を繰り返してその場をしのぐという状態であった。
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
2) 産業の発達
 一方、貨幣改鋳のたびごとに貨幣の流通量が増えて、インフレーションが引き起こされたが、多額の資金が農村まで出回ったため、諸産業が活性化した。
 様々な産業で問屋制家内工業が増えていったが、特に需要の多い木綿織物業では、貧しい農家の若い女性や子供を賃金労働者として雇い、生産工程をそれぞれ単純な作業に分けて、協同して製品を効率よく大量生産するマニュファクチュア(工場制手工業)がはじまった。尾張木綿の集散地尾張一宮では、京都西陣の機織り技術者がもたらした高機(たかばた)を活用してマニュファクチュア経営を行う者があらわれた。
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
 こうして各地から在方(ざいかた)(在郷)(ざいごう)商人が良質で安い商品を求めてにぎわう地域市場が生まれた。経営者には、村役人のなかから農業経営を拡大したり商売に成功して、金融や酒造りなどを行うようになった地主が多かった。そのため、彼らは豪農と呼ばれている。
3) 地回り物
 各地に成立した地域市場では、在方町が特産物の集散地として栄えるようになったが、最も大きく変化したのは、江戸周辺の江戸地回りとよばれた地域だった。銚子・野田の醤油など繁栄をみせる江戸向けの地回り物とよばれる安い商品を供給する産地が生まれ、株仲間外の新興商人や在方商人らによって、利根川や荒川などの河川を使って持ち込まれた。地回り物はその他に、行徳(ぎょうとく)の塩、佐原(さわら)・流山(ながれやま)の酒とみりん、岩槻(いわつき)・久喜(くき)・真岡(もおか)・結城(ゆうき)の木綿製品、桐生(きりゅう)・足利(あしかが)・伊勢崎(いせざき)・八王子・青梅(おうめ)などの生糸などがある。
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(三省堂「日本史B」より)
4) 江戸中心の輸送路の拡大
 地域市場が各地に成立すると、各地と江戸や大坂、あるいは地域どうしを結ぶ新興の廻船業者があらわれた。兵庫や大坂向けに蝦夷地や日本海沿岸の産物をあつかう北前船だけでなく、瀬戸内海沿岸と江戸との間を運行する尾張の内海船(うつみぶね)は、遠隔地に取引先をもたない在方商人から産物を大量に買いあげて価格の高い地域で売却して利益をあげた。
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(三省堂「日本史B」より)
 こうした動きは、菱垣廻船や樽廻船の経営をおびやかしたので、これは、株仲間などの特権商人をとおして市場統制を行ってきた幕府にとっても大きな問題となった。さらに「天下の台所」大坂は商品移入量が減ってしだいに活気を失い、経済の中心地は江戸に移っていった。
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by YAMATAKE1949 | 2016-07-14 10:27 | 日本史講座 | Comments(0)