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ブルガリア・ルーマニア旅行記7 (リラの僧院①)

 ボヤナ教会を見学した後、私たちはソフィア市内のホテルに戻った。夕食までフリータイムとなったので、私たち夫婦はホテルの周辺を散策した。ホテルの近くには近代的なソフィア中央駅があった。
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(ソフィア中央駅)
 駅の構内には古い蒸気機関車が展示されていた。
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(構内に展示されていた蒸気機関車)
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(広いソフィア中央駅の構内)
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(ソフィア中央駅の正面)
 次に私たち夫婦はブラダヤ川に架かるライオン橋を見に行った。
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(ライオン橋)
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(ライオン橋)
 私たち夫婦は 午前中に見学したバーニャ・バシ・ジャーミアモスクの近くまで歩いた。モスクの横には温泉が湧いており、人々は温泉のお湯をペットボトルに汲んでいた。
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(温泉が湧いている)
 
(観光2日目)
 10月12日(水)午前8時に私たちはバスでソフィアのホテルからリラへと向かって出発した。約128㎞、所要時間は約2時間の予定である。
 リラの僧院で購入したパンフレットには、「ドルシュリャヴィツァ川がリラ川へ流れ込む、昔からの森林に覆われた高い山頂に見守れれる要所に美しいリラの修道院がそびえ立っています。
 10世紀にリラの修道院を創立したのは、ブルガリア人聖者の中で最も尊敬される、ブルガリア人の守護聖者・聖イオアン・リルスキーです。千年もほぼ絶え間なく修行の拠点となった修道院は、東方正教、ブルガリア独自の文化の宝庫となりました。修道院は敬虔なペタル王の時代まで遡れる、ブルガリア国民が乗り越えた多くの試練の記憶を保っています。
 何世紀にも渡る修道院の歴史は、栄枯盛衰の繰り返しです。何回も放火や略奪に遭った修道院を支えてきたのは、中世時代の歴代王、そして民族復興期の敬虔なキリスト教徒の寄付です。オスマン・トルコ時代には、ロシア皇帝やモルドバ公の支援もありました。」と書かれている。
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(リラ僧院の入口)
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(リラ僧院)
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(リラ僧院)
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(聖イオアン・リルスキー)
 リラの僧院を創立した聖イオアン・リルスキーについて、パンフレットではつぎのように書かれている。
「聖イオアン・リルスキーがドゥプニツァ地方スクリノア村で生まれたのは、876年頃と考えられています。若い頃から孤独と祈りに浸っていた彼は、親の死後に全財産を人に配り、近くのルエン修道院で修道誓願を立て修行生活に入ります。しかし、まもなくすると、より閑静で修行にふさわしい場所を求めて修道院を去り、神の導きを受けながら様々な場所を転々とした後、当時はほとんど人気のないリラ山脈にたどり着き亡くなるまでそこで過ごしました。『たどり着いたリラの未開地、人が全くおらず、野獣だけが棲む近づきにくい土地だった。そして屋根も食事もない私は野獣とともに暮らし始めた。空が私の屋根となり、土がベッドとなり、草木が食べ物となった。』と『遺言』の中で聖者は語っています。大木の洞穴や洞窟を住み家にし、ときには岩山の上で『空腹、のどの渇き、猛暑、薄着の寒さ』に耐えながら、彼は祈祷、断食、不眠を続けていました。地から離れ、天に近づいた彼は、信仰心と敬虔さをもって彼の指導を求める者に心の安定と治癒を与えていました。
 リラに住む隠遁者の噂を敬虔なペタル王が耳にし、聖者に会い、その祝福を乞うことにしました。しかし山があまりにも険しいため王は直接行くことを断念し、家来達に果物と金の贈り物を届けさせました。聖イオアンは果物を受け取りましたが、金は返しました。・・・
 少しずつ、リラの隠遁者を囲んだ修道会ができてきました。修道士の人数が増えていくにつれ、別の場所で修道院の建立が益々切実な課題となりました。それが形となったのは930~931年頃とされています。聖イオアンが修行を重ねた洞窟は現在旧修行場という名で呼ばれています。その隣の石造教会に聖イオアンの墓があります。」と。
 
 
by YAMATAKE1949 | 2016-10-30 09:57 | 旅行記