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第50回日本史講座のまとめ② (文明開化)

2 文明開化
1) 西洋文化の摂取と変わる国民生活
 政府は、欧米の文明や、風俗・習慣を取り入れる文明開化政策を積極的に進めた。1871年には散髪脱刀令(さんぱつだっとうれい)が出されると、チョンマゲに変わる断髪(ざんぎり)頭は文明開化の象徴となった。
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(ほるぷ出版「日本の歴史4」より)
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
 1872年、銀座一帯の火災を機会に政府は防災・美観を考慮して銀座通りに煉瓦造りの洋風建築を建て並べた。ガス灯やランプが灯り、街路には人力車・馬車などが走るようになった。食事の面でも肉食の習慣が西洋から伝わった。
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
2) 暦の変更
 1872年、政府は外交や軍事・貿易などにさいしての日時の取り決めに不都合な旧暦(太陰太陽暦)を新暦(太陽暦)にかえ、旧暦の1872年12月3日を新暦の1873年1月1日とした。同時に1日を24時間とし、官庁での日曜日休日制も定めた。一方、政府は庶民の伝統的な年中行事である五節句にかわって、新たに神話に基づいて2月11日を紀元節に、明治天皇の誕生日にあたる11月3日を天長節とし祝日とした。しかし、国民の大半を占める農民の生活や生産にかかわる祭などはいぜん旧暦でおこなわれ、五節句のひな祭りや端午の節句、七夕祭りなどが町や村で盛んに行われていた。
by YAMATAKE1949 | 2016-12-06 10:04 | 日本史講座