「アヘン戦争をどう教えるか」②

2)イギリスの中国貿易
(資料b)片貿易とアジア三角貿易
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(東京法令「世界史のパサージュ」より)
問① 上の図の18世紀では、なぜイギリスから銀が清朝に流出したのですか。
問② 19世紀の図では、なぜ東インド会社が書かれていないのですか。また、なぜイギリスはインドでアヘンを栽培させて清朝に輸出させたのですか。
問③ アヘン流入の結果清朝から銀がイギリスに流出したことは中国社会にどのような影響を与えたか考えてみよう。
(解説)
①イギリスではこの頃、紅茶が流行して中国茶が輸入されたが、イギリスの製品が中国で売れなかったため片貿易となり、イギリスから一方的に銀が流出した。②産業革命によりイギリス国内で銀の需要が高まると、新たな決済手段となったのがインド産アヘンであり、アヘンは中国では禁制品であったため東インド会社は表に出さず、先ず民間商人にアヘンを売り払い、彼らが中国に密輸出した。そのため1780年代から大量にアヘンが中国に流入することになった。③「野生のケシを原料とするアヘンの効用は、紀元前から知られており、利用されてきた。その主要成分はモルヒネで、強力な鎮痛作用をもつとともに習慣性(依存性)の強い麻薬にもなる。同じモルヒネという物質が医薬と麻薬の両面をもつ・・・ケシの花が散った直後(6月頃)、子房に傷をつけて出てくる汁が、太陽光で茶褐色になって固まる。これがアヘンである。それをピンセットで集め、子どもの頭ほどの球状にし、陰干しして、輸出用に梱包する。・・・中英間の戦争の原因になるアヘンは、19世紀アジア三角貿易を構成する中国・インド・イギリスを結ぶ三大商品(茶・綿布・アヘン)のひとつとして、18世紀末から登場する。そして大量に流通し、ほかの商品とは決定的に違う特殊な役割をもつようになる。」(中央公論社「世界の歴史25」より)中国から銀が流出した結果、銀貨が急騰した。清朝では「銀・銅両位制のため、密輸にともなう銀の流出が銀-銅のレートをくるわせ、急激な銀高銅安減少を招来した。それまで銀1両=銅銭600~800文ほどの安定レートで推移してきたのが、アヘン流入にともない、1830年代後半からは1500文と急騰した。銀で決められていた税額は2.5倍の計算になる。延納や納税拒否がおき、それが清朝財政を圧迫した。」(前掲書)また、アヘンの流入は中国に大きな社会風紀上の問題を引き起こした。

3)アヘン戦争の直接的原因
(資料c)
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(中央公論社「世界の歴史25」より) 
 (資料d)
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(東京法令「ビジュアル世界史」より)
問① 資料cは誰ですか。彼はどのような目的で広州に派遣されたのですか。
問②彼は目的を達成するためにどのような行動をとったのですか。
問③その結果、イギリスはどのような行動をとりましたか。
問④資料dは誰ですか。彼はイギリスの議会でどのような発言をしましたか。
(解説)
①cは林則徐であり、彼は27歳で科挙を突破したエリートで、腐敗が横行する官界にあって例外的な清廉官僚であった。役人への賄賂によって野放し状態となっていたアヘン密輸問題を解決するため、道光帝に抜擢され欽差大臣(特命全権大使)として広州に派遣された。②彼は「アヘン貿易商の手持ちアヘンの没収を通告した。林の通告を受けたイギリス貿易監督官エリオットは、イギリス人を主とするアヘン貿易商に命じて、アヘン2万291箱を提出させた。・・・清朝側では、虎門という村の浜辺付近に大きな穴を掘り、生石灰をまぜて没収したアヘンを処分した。」(前掲書)③「エリオットは、この事件の報告を本国外務省へ送った。・・・ロンドンでは、エリオットからの書簡を受け取り、すぐ10月に閣議を開いた。閣議は膨張論者のパーマストン外相の主導のもとに進行し、ただちに出兵を決議した。」(前掲書)④dはグラッドストンであり、彼はイギリス議会で「これほど永遠の不名誉を残す事になる戦争は聞いたことがない」と演説し、出兵決議に反対したが、わずか9票差で下院を通過した。
                 
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by YAMATAKE1949 | 2017-02-06 10:10 | 授業実践 | Comments(0)