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第61回日本史講座のまとめ①(植民地経営と中国進出)

 第61回日本史講座は、6月10日(土)午後2時より受講者8名で行われました。
2 植民地経営と中国進出
 大戦景気をきっかけに、植民地経営が本格化し、大企業が台湾・朝鮮・中国へ進出していった。
1)台湾
 台湾では、日本国内のコメ不足を補うために米作りが強制され、三井や三菱などの財閥を中心に日本からの砂糖や樟脳(しょうのう)・塩などの生産が増大した。とりわけ砂糖の生産がすさまじく、1902(明治35)年を100とした場合の収穫高は、1925(大正14)年には1294に達していた。つまり日本帝国主義下の台湾では、日本のために台湾経済はモノカルチャ(単一栽培)化が進められ、日本への砂糖供給地としてしまった。
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
2)朝鮮
 朝鮮では、1908年に日本からの農業移民を斡旋する東洋拓殖会社が設立され、1910年から1918年にかけて土地所有者を確定する土地調査事業が行われた。朝鮮では所有権がはっきりしない共有地が多数あったが、そのような土地はすべて朝鮮総督府が取り上げた。また、農民には自分の土地を申告するという習慣もなく、申告すれば土地を取り上げられるといったデマが流されたこともあり、土地を申告しなかった農民が多かった。その結果、1918年には朝鮮の農民の約8割が自小作農民か小作人となったが、没落した多くの農民は日本や満州へ出稼ぎに行かざるをえなくなった。また、1920年に許可制だった会社設立が解禁されると、新興財閥の日本窒素肥料会社(日窒)などの企業が進出した。
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(小学館「日本の歴史27」より)
3)中国
 中国では、東洋紡績会社や鐘淵紡績会社などの6大紡績会社が上海や青島などに在華紡とよばれる大紡績工場を建設していった。満州では、関東都督府を関東庁と関東軍司令部とに分けて民政と軍政とを分離し、満鉄沿線と関東州の守備隊を関東軍として独立させた。また、満鉄を中心に石炭・鉄鉱石・大豆などの日本への供給基地化を進めた。
 南樺太では、豊富な森林資源をもちいたパルプ工業が発展し、日本の委任統治領となった南洋諸島では日本人による漁業がはじまった。
 

by YAMATAKE1949 | 2017-06-11 11:12 | 日本史講座