南米(マチュピチュ・イグアス)旅行記26(ナスカの地上絵②)
「初期のナスカ文化は、政治勢力および社会、宗教の中心地をカワチに置いた。しかし、紀元400年頃にはその支配が弱まり、各地の領主が治めるようになった。政治、社会システムはそれぞれ異なっていたが、共通の信仰を維持していた。・・・ナスカは6世紀末にエルニーニョ現象の被害を被った。極度の干ばつに見舞われ、弱い荘園はさらに分割していき、人々はよりよい条件を求めてアンデス地帯に移動していった。また、同時に、これらの分割した海岸荘園地帯を支配する勢力が近郊のアンデス地帯から現れる。アヤクチョを起点とするワリ文化(600年~1200年)の出現である。ワリは、社会経済システムを確立し、軍事力を増大することでナスカ地帯の住民たちを新しい帝国に従属させた。ワリ帝国は、その支配を南北に拡大し、現在のペルー全域に近い国土を誇った。」
「ナスカの首級は、体から頭を切り離した後、脳を除去してミイラ化したものである。通常、まぶたと唇は、刺で閉じられた。これは、首を切られた人の魂が所有者に悪さをしないようにという意味が込められていた。ナスカの人がなぜこの行為を行っていたのかは、まだ明らかになっていない。唯一解明されていることは、戦いで死んだ別の敵部族のものではなく、宗教的な儀式の中で生贄とされた地元部族のものであったということだ。一部の研究者によると、死亡後、首を切り取り、ミイラ化して、家族が所有していたケースもあるという。ナスカ文化の土器には、首を切られ、コンドルやハゲタカなどの死骸を食べる鳥に鳥葬にされる人体を表す、首級をテーマにしたものが数多くある。また、研究者によると首なしの遺骨が埋葬されている墓は発見されていない。このことから、斬首された人物は埋葬されなかったのではないかと推定されている。
「ナスカの土器は、その多彩な装飾と彩色、艶出しの技術から、ペルーの先スペイン期文化の中でも特出している。さらに、柔軟な粘土を原料に用いることで薄造りであるのもその特徴のひとつである。・・・土器の図像はナスカの地上絵の図像と深いつながりがある。地元だけでなく他の地域の動植物や、人間的存在、神話的存在、首級、悪魔に取り憑かれたような頭など、特徴的なモチーフが用いられた。
私たちはパルパの地上絵を見学した後、午後6時頃にホテルに到着した。ホテルにはナスカの地上絵の模型が置かれていた。
ホテルでの夕食後、ホテルの側にある建物でナスカの地上絵と関連するプラネタリウムを日本語で解説してくれるという。料金は1人20ドルと高かったが、このような経験は二度と無いだろうということで私は参加した。
プラネタリウムはナスカの地上絵と関連させて解説されており興味深かったが、長旅の疲れが出てしまったのか、食事の後だったということもあり、私はプラネタリウムの半分は寝ていた。いよいよ明日はナスカの地上絵を見ることが出来るので楽しみだ。