第55回日本史講座のまとめ②(戦後経営と立憲政友会の成立)

5 戦後経営と立憲政友会の成立
1)民党の変化
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(東京書籍「図説日本史」より)  
 日清戦争後、日本は、産業基盤を強化して国力を充実させ、ロシアを仮想敵国として軍備を増強しようとした。しかし、政府は帝国議会で予算案を成立させるためには民党と妥協しなければならなかった。民党もまた、富国強兵のための積極政策を主張するようになったため、政府と民党の関係は戦争前とは一変するようになった。 1895年、第2次伊藤内閣は自由党と連携し、次の第2次松方内閣は進歩党(立憲改進党の後身)と連携して軍備増強のための予算案を成立させた。
2)第1次大隈内閣
 1898年、地租増徴問題で第3次伊藤内閣と衝突した自由党と進歩党が合同して憲政党を結成すると、政権を投げ出した伊藤内閣に代わって、同年には憲政党の大隈重信を首相とし板垣退助を内務大臣とする初の政党内閣である第1次大隈内閣(隈板内閣)が成立した。しかし大隈内閣は、内部対立や官僚・軍人の攻撃もあってわずか4か月で倒閣し、憲政党も自由党系の憲政党と進歩党系の県政本党とに分裂した。
3)第2次山県内閣
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(東京書籍「図説日本史」より)  
 隈板内閣に代わって成立した第2次山県内閣はは憲政党と妥協をはかって、ようやく予算案を成立させることができた。その一方で、政党を敵視する山県首相は、1899年、文官人用令を改正して、政党員が省庁の次官や局長になどの高級官僚になれないように改めた。翌1900年には陸海軍大臣を現役の大将・中将にかぎるとする軍部大臣現役武官制を定めて、後任の陸海軍大臣の推薦を陸海軍が拒否すると組閣できないようにした。
4)立憲政友会の成立
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(東京書籍「図説日本史」より)  
 この頃、山県系の官僚・軍人勢力と、資本家や地主を支持基盤とする保守政党を結成して議会運営を安定させようとする伊藤系の官僚勢力とが対立するようになった。1900年、伊藤は地主やもとの自由党員、官僚らを中心に立憲政友会を結成してみずから総裁となり、第4次伊藤内閣を組織した。しかし、伊藤内閣は山県系官僚によって倒閣し、これを機会に伊藤・山県らは第一線をしりぞき、元老として内閣の背後から政治を動かすようになった。そして、1901年、山県に代わる新しい指導者である陸軍大将の桂太郎が第1次桂内閣を組織した。

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by YAMATAKE1949 | 2017-04-11 09:55 | 日本史講座 | Comments(0)