第56回日本史講座のまとめ③(社会問題の発生と足尾鉱毒事件)

4 社会問題の発生と足尾鉱毒事件
1)労働者の実態
 明治の中期以後、企業の勃興にともない、賃金労働者の数も急増した。彼らの多くが農家の次男・三男や娘たちで、貧しい家計を助けるための出稼ぎの労働者たちであった。しかも、産業革命の中心となった繊維産業部門の労働者の大部分が女子労働者であり、重工業や鉱山部門では男子労働者が多かったが、全体として女子労働者の比率が大きかった。
 紡績工場では昼夜二交代制の12時間労働が一般的で、製糸工場では16時間におよぶこともあった。農家出身の若い女工は、栄養不足の食事と不潔な工場設備のために肺結核などになるものも多かった。また、零細なマッチ工場では幼い子供が働かされ、鉱山でも過酷な労働が強いられた。このため、衛生や貧困などの社会問題が発生した。このような実態を1899年、新聞記者の横山源之助が『日本之下層社会』で発表した。
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
2)公害問題の発生
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
 鉱山業の発展は公害問題を引き起こした。古河の足尾銅山(栃木県)は、住友の別子銅山(愛媛県)や藤田組の小坂(秋田県)とともに中国向けの輸出で生産高を増やしていたが、1896年、鉱毒を含んだ排水が数万町歩の農地に被害を与えた。田中正造は代議士をやめ、農民らとともに、政府や天皇に惨状を訴え、キリスト教団体や社会主義者らが救済に乗り出すなど大きな社会問題となったが、政府は銅の輸出を優先し抜本的な解決を行わなかった。
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)

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by YAMATAKE1949 | 2017-04-15 09:20 | 日本史講座 | Comments(0)