第57回日本史講座のまとめ①(中国分割の進行)

 第57回日本史講座は、4月8日(土)午後2時より受講者7名で行われました。 
 Ⅲ 日露戦争
1 中国分割の進行
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(三省堂「日本史B」より)
1)中国分割の進行
 19世紀末、日本がようやく近代国家を形成したころ、欧米列強は帝国主義段階に突入しようとしていた。列強は植民地の獲得を競い合ったが、その矛先はアジア・アフリカなどに向けられた。
 特に日清戦争で、清が小国と思われていた日本に敗れると、列強は中国進出を強め、租借地や鉄道の敷設(ふせつ)権・鉱山の採掘権などの権益を獲得して勢力圏を確定していった。
 1898年には、ロシアは遼東半島の旅順・大連の租借権と東清鉄道の旅順までの延長権を獲得し、イギリスは威海衛(いかいえい)・九龍半島を、ドイツは山東半島の膠州湾(こうしゅうわん)を、1899年にはフランスが広州湾を租借して、鉄道の敷設や鉱山開発などに乗り出した。さらに中国進出に出遅れたアメリカがフィリピンを占領すると、国務長官ジョン=ヘイが中国市場の門戸開放を提唱するなど、中国をめぐる列強の争いは激しくなっていった。
2)中国民衆の抵抗
 このような列強の侵略に対して、民衆の間に排外気運が高まり、山東省では義和団を中心に「扶清滅洋(ふしんめつよう)」(清朝を助けて西洋を滅ぼせ)というスローガンを叫ぶ排外運動が起こった。清朝政府はこれをあおりたてたので、運動は華北一帯に広がり1900年には北京の列国公使館が清国兵や民衆に包囲された。これが義和団事件とよばれるもので、日本や欧米列強8か国は結束して連合軍を組織しこれを鎮圧したがこれが北清事変である。日本は、ロシアを警戒するイギリスの強い要請を受け、連合軍最大の2万2000人を派遣した。これ以降、日本はイギリスからその手先として「極東の憲兵」とみなされた。この義和団事件をあつかったのが「北京の55日」という映画で、中国民衆は悪者で、アメリカ人の英雄が北京に包囲された公使たちを救出するというものである。アメリカの西部劇で悪いインディアンを正義のガンマンがやっつけるというスタイルと全く同じである。
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(三省堂「世界史B」より)
 1901年、8か国は清と北京議定書を結んで、巨額の賠償金を獲得するとともに、北京周辺に軍隊を駐留させる権利を獲得し、日本もこの時から軍隊を常駐させるようになった。
 

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by YAMATAKE1949 | 2017-04-17 10:06 | 日本史講座 | Comments(0)