第70回日本史講座のまとめ⑤(政党の復活と戦後初の総選挙)

5 政党の結成と戦後初の総選挙
1)政党の結成
 政治活動の自由が保障されると、政党も次々と結成・復活した。保守系の政党としては、日本自由党が旧政友会系を中心として結成されたが、翼賛選挙での非推薦議員が多かった。自由党の結成資金は右翼の児玉誉士夫(こだまよしお)によって提供された。児玉は戦争中に海軍の委嘱で中国の上海で児玉機関をつくり、中国人からの略奪とアヘンによる巨額の金を自由党結成資金につぎ込んだ。
 同じく、保守系の日本進歩党は旧民政党系を中心として結成されたが、翼賛選挙で推薦された議員が多かった。この政党は、幣原喜重郎内閣の与党的な役割を果たしたが、公職追放された議員が多かった。
 一方、戦前の無産政党が統合された片山哲らの日本社会党が結成されるとともに、獄中から釈放された徳田球一らを中心として日本共産党が合法政党として活動を開始した。1946年には共産党幹部の野坂参三の帰国を歓迎する国民大会も開かれた。
2)戦後初の総選挙
 1946年4月、男女20歳以上の国民すべてに選挙権が与えられた戦後初の総選挙が行われ、39人の女性代議士が誕生した。選挙で進歩党は第二党になり、幣原内閣は総辞職し、第一党となった自由党も過半数に達せず、鳩山総裁も公職追放となり組閣できなかった。1か月にわたって内閣が存在しなかったが、ようやく自由党・進歩党の連立による第1次吉田茂内閣が誕生した。
 吉田茂は明治自由党の指導的幹部であった竹内綱(たけのうちつな)の五男で大富豪吉田健三の養子、明治の元勲大久保利通の二男として宮廷政治の実力者であった伯爵牧野伸顕(のぶあき)の女婿、そして大日本帝国の職業外交官として田中儀一内閣の外務次官、日中戦争開始時の駐英大使であった。彼は、むしろ大日本帝国の申し子のような人物であった。(小学館『日本の歴史31 戦後変革』)
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
次回の第71回日本史講座は1月27日(土)午後2時より行う予定です。
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by YAMATAKE1949 | 2018-01-19 10:40 | 日本史講座 | Comments(0)