第72回日本史講座のまとめ①(労働改革と教育の民主化)

  第72回日本史講座は,2月10日(土)午後2時より受講者6名で行われました。
3 労働改革と教育の民主化
1)労働三法の成立
 1945年10月に総司令部が出した五大改革指令には労働組合の結成奨励がある。これに基づき1945年12月に労働者の団結と団体行動を保障する労働組合法が制定され、翌年3月に施行された。さらに1946年9月に労働争議の仲裁・斡旋(あっせん)のための労働関係調整法が制定された。また、1947年には、労働者保護のために、8時間労働制・週休制・児童の就業禁止などの労働条件の最低基準を定めた労働基準法が公布され、監督機関として労働基準局・労働基準監督局が設けられた。
2)教育の民主化
 民主化の波は教育機関にもおよんだ。総司令部も軍国主義を根本から断ち切るために教育改革を行う必要性を認め、1946年にアメリカ教育使節団の来日を要請した。使節団は、東京帝国大学総長の南原繁(なんばらしげる)を委員長とする教育家委員会の意見や要望をうけ、小学校6年制・中学校3年制を義務教育とする六・三制や、教育の地方分権化などを内容とする報告書を出した。1946年8月に内閣に教育刷新委員会がつくられ、1947年、戦後日本の民主教育制度を定めた学校教育法が公布され、4月から六・三制が実施され新制中学校が発足した。さらに同年、教育基本法が公布され、平和と民主主義の根底は教育にあるとの理想をかかげ、教育の機会均等、男女共学、教育に対する公権力の不当な介入の禁止などが盛り込まれた。1948年には各都道府県と市町村に公選による教育委員会が設置された。
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
3)教育勅語の失効
 戦前の教育の根本であった教育勅語は、1946年10月に、「教育勅語奉読(ほうどく)の廃止」という文部省の通達が出ていた。そして、参議院文教委員会での討論では次のような意見が出されていた。「国民には、まず第一に、教育勅語というのはいかに有害であったかということをはっきりと示すことが必要です。何かの事情で今まではあったが、最近なくなったというような受け身的気持ちで国民が考えてはならない。あるいは命令によって廃止されたと考えてもいけないと思います。」(羽仁五郎(無所属)「教育勅語は、ある意味では法律以上にわれわれの精神生活までしばってきました。教員が教育勅語によってどんなに道徳に縛られていたか・…火災のとき勅語謄本をもちださなかったために、やめさせられ生活権を奪われたということもあったのであります。」岩間正男(無所属)総じて意見は、国民の意識のなかに教育勅語が残っている。そういう事実があったらそれをぬぐいさろうというもので、結局、衆参両院でそれぞれの意思を表明することになり、1890年10月30日に出された教育勅語は、60年の歴史を閉じたのである。((ほるぷ出版 「日本の歴史」より)
 最近になって、再び教育勅語を礼賛する大臣が現れたが、日本の歴史を学んでほしいものだ。

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by YAMATAKE1949 | 2018-02-12 09:55 | 日本史講座 | Comments(0)