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第72回日本史講座のまとめ②(冷戦のはじまり)

 第23章 二つの世界と日本
 Ⅱ 対日政策の転換と朝鮮戦争
1 冷戦のはじまり
1)西側陣営の動き
 第二次世界大戦後、ソ連の圧力で東ヨーロッパ地域に社会主義国が成立するとともに、西ヨーロッパ諸国でも反ファシズム闘争で活躍した共産党が政権に参加する政府が成立した。このような状況の中で、アメリカとソ連との対立が深まっていった。
 1947年3月、トルーマン米大統領は、「反ソ反共政策、原爆生産設備の大増強、軍事政策の強化」を訴え、アメリカの安全のために全世界の自由諸国民を守るという、トルーマン・ドクトリンを宣言し、世界的な軍事基地網でソ連を包囲する「封じ込め政策」をとった。戦場となって荒廃した西ヨーロッパ諸国には、反共政策をとることを条件として経済援助をおこなうというマーシャルプランが立案され、ベルギー、フランス、イタリアで共産党は政府から追われた。アメリカ国内では「赤狩り」旋風が吹き荒れ、「喜劇の王様」チャップリンでさえもが迫害された。さらにアメリカは、西ヨーロッパ諸国との間に1949年4月、北大西洋条約機構(NATO)という反共軍事同盟を成立させた。
2)東側陣営の動き
 このようなアメリカの動きに対抗して、1947年にソ連と東欧の共産党の連絡組織であるコミンフォルムを結成するとともに、1949年には、ソ連と東欧諸国は東ヨーロッパ経済相互援助会議(コメコン)を結成し、社会主義国間の経済協力機構を設置した。
3)分断国家の成立
 米ソ対立は連合国が占領していたドイツや朝鮮におよび、ドイツではドイツ連邦共和国(西ドイツ)とドイツ民主共和国(東ドイツ)に、朝鮮半島では大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)にそれぞれ資本主義・社会主義という異なる体制に分断された。
4)中華人民共和国の成立
 中国では日本軍の降伏後、国民政府と共産党の対立は激しくなった。アメリカは、戦後のアジアの安定の重心を中国にもとめ、国共調停にのりだした。ソ連は、国民政府との間に中ソ友好同盟条約を結んでいた。アメリカの仲介で国共合作政府の樹立という合意が成立し、憲法草案も採択されていたが、国民党の右派が主導権を握って憲法草案に反対し、再び武力衝突がはじまり、戦いは中国全土に広まった。内戦は当初、最新式のアメリカ軍式装備をし、大兵力を有する国民政府軍に有利であった。しかし、国民政府の腐敗と無能は民衆の生活を破綻させ、民衆の離反をまねき、軍隊の士気も急速に衰えた。アメリカは、国民政府に膨大な経済援助と軍事援助をつぎこんだが、むだであった。中国共産党は、土地改革をおこない、農民大衆の支持を強めて力をたくわえ、ついに内戦に勝利した。1949年に毛沢東を主席とする中華人民共和国が建国され、国民党は台湾へ逃れて台北に首都を移した。
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by YAMATAKE1949 | 2018-02-13 11:20 | 日本史講座