第75回日本史講座のまとめ①(経済成長優先の政治)

 第75回日本史講座は、3月24日(土)午後2時より受講者7名で行われました。

2 経済成長優先の政治
1)池田内閣の高度経済政策
 憲法改正や自衛力強化を前面に出した岸内閣は、1960年に安保条約を改定して退陣した。かわって首相となった池田勇人(はやと)は、以前、吉田内閣の大蔵大臣の時に「中小企業の一部倒産もやむおえない」や「貧乏人は麦を食え」といった発言をしたとして、新聞社などから反庶民的・高圧的な姿勢を批判されたことがあった。そのため、「低姿勢」「寛容と忍耐」をかかげ、経済優先の政策を推し進めた。
 1960年、第2次池田内閣は国民所得倍増計画を閣議決定し、1961年国民皆(かい)保険・皆年金が実現された。1962年には新産業都市建設促進法が施行され、1963年には13の新産業都市と6か所の工業整備特別地域が指定され、全国的な重化学工業化がはかられた。1956年から1960年の第2次鉄鋼合理化計画によって、臨海地域に新鋭の銑鋼(せんこう)一貫製鉄所の建設がすすめられた。また、石炭から石油へのエネルギー転換にともなって、太平洋ベルト地帯に巨大な石油化学コンビナートが建設されていった。
2)企業の技術革新
 企業は、急速な技術革新を実現しながら生産性をあげていった。そして、そのために行われる設備投資がさらに設備投資をよぶというようにして、急速な高度経済成長が実現されていった。技術革新は大企業だけではなく、中小企業でも行われ、家庭用電化製品の普及に貢献した松下幸之助の松下電気工業や、オートバイの国産化をめざした本田宗一郎の本田技研工業、世界に先がけてトランジスターラジオを製品化した井深大(いぶかまさる)・盛田昭夫の東京通信工業(のちのソニー)などは急成長をとげて世界的な大企業となった。
3)高度経済成長の時代
 1955年から約10年間、経済成長率が平均10%を上回ったことをうけて高度経済成長の時代とよぶ。1955年からの神武景気が高度経済成長の幕開けとなり、続いて岩戸景気、さらにオリンピック景気そして1965年から70年の長期にわたるいざなぎ景気と続いた。それが可能となった背景には、1ドルが360円と円安の固定相場制であったこと。今と比べて若い労働人口が豊富にあったこと。日本が戦争に巻き込まれることもなく、ヴェトナム戦争などの特需があったこと。エネルギー政策の転換が進められたこと。戦後ゼロからの出発で、新しい技術を積極的に導入することができたことなどがあげられる。
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(東京書籍「図説日本史」より) 

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by YAMATAKE1949 | 2018-03-26 09:46 | 日本史講座 | Comments(0)