第76回日本史講座のまとめ②(公害問題と革新自治体)

 Ⅲ 高度経済成長の光と影
1 公害問題と革新自治体
1)公害問題
 経済成長優先の政策は、さまざまな問題を引き起こした。深刻化する環境破壊は、1950年代後半にはすでに熊本県水俣地方の「奇病」の発生や大気汚染、水質汚染、地盤沈下などの問題として認識されていた。しかし、それらが企業活動に伴って発生している人為的な加害に基づくものであるとの認識は薄かった。水俣病が工場排水に起因する有機水銀中毒であることは、熊本大学医学部などの研究によってかなり早い時期に確かめられていた。しかも、1959年11月には食品衛生調査会が厚生大臣に「水俣病の原因は水俣湾にすむ魚介類の体内から検出される優位水銀化合物である」と答申していたにもかかわらず、そうした科学的な検証に対して、政府は冷淡であった。政府が有機水銀説を認め、水俣病を公害病と認定するのは1967年のことであり、この遅れが、阿賀野川の第二水俣病の発生など被害の拡散と拡大をもたらした。
 このような問題の最も大きな要因は、つねに産業発展を優先すべきとの意見を持つ財界と通産省の強い要請のもとに人権が軽視されてきたことにある。私は歴史教育者協議会(歴教協)の全国大会に参加して、熊本水俣病・新潟水俣病・イタイイタイ病などの各地の実態と原告団の人々との交流などを通していかに企業や政府の責任が重いかを痛感したことを思い出した。
 1967年の四日市ぜんそく訴訟をはじめ、富山イタイイタイ病、新潟水俣病、熊本水俣病など全国で公害を訴える裁判があいつぎ、1971年から1973年に四大公害訴訟は患者側勝訴となったが、公害患者の認定基準はきびしく、人体に対する深刻な影響がさまざまな形でのこった。また、急速な都市化に伴う騒音などの都市公害や環境整備の遅れから各地で住民運動がおき、1967年には公害対策基本法が制定された。
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
2)革新自治体の誕生
 こうした運動を背景にして、1967年に社会党・共産党や市民グループの支援で東京都知事に美濃部亮吉が当選して以降、革新首長による革新自治体が誕生していった。革新自治体では、都市環境問題対策や老人医療無料化などの福祉政策が推進され、国の政策にも反映され、1970年に公害を犯罪として処罰する公害対策基本法の改正が行われ、1971年には環境庁が設立された。

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by YAMATAKE1949 | 2018-04-17 09:53 | 日本史講座 | Comments(0)