第76回日本史講座のまとめ③(石油ショック)

 第25章 経済大国化への道
 Ⅰ 石油ショックから行政改革へ
1 石油ショック
1)二つのニクソン・ショック
 1970年代に入って、世界は激動に見舞われた。国際政治・経済両面でアメリカの圧倒的な優位が崩れたからである。その背景には、アメリカのヴェトナム戦争への介入によって経済的に疲弊し、国際信用も低下していったからである。
 第一のショックは、1971年、アメリカのニクソン大統領が中国訪問計画を発表したことである。それはアメリカがこれまでの中国封じ込め、中国孤立化政策を改めることを意味した。ヴェトナム和平で行き詰っていた局面を打開する狙いも込めたアメリカの政策の展開は、中国を国際政治の表舞台に復帰させ、世界を米ソ中の三極構造に変えていった。その結果、中国は国際連合に復帰して国連の常任理事国の代表権を獲得し、台湾政府は追放された。
 第二のショックは、訪中発表から1か月後の1971年8月に発表された、金とドルとの交換停止である。日本は、1ドル360円に固定されて各国通貨と交換されてきた有利さを生かしながら高度経済成長をとげてきたが、ニクソン・ショックによって大きな変更をせまられ、1971年末に1ドル308円に切り上げた。世界経済もまた大きく動揺し、ヴェトナム戦争の戦費などによるアメリカ経済の悪化やドルの下落がはっきりすると、1973年、国際通貨基金(IMF)を中心とする固定為替相場制は崩壊し、主要先進国は変動為替相場制に移行し、円は1ドル260円に急騰した。
2)日中国交正常化
 1972年、沖縄の日本復帰が実現すると佐藤内閣は退陣し、7月の自民党総裁選で田中角栄が後継総裁に選ばれた。総裁選挙にはおびただしい金が多数派工作のためにばらまかれた。田中角栄は54歳と若くそれまでのような官僚出身者ではなく、立志伝中の人物として「決断と実行」をスローガンとしてブームを引き起こした。
 田中内閣の成立からわずか2か月後の1972年9月に中国の周恩来首相と会談し、日中共同声明が発表され、日中国交正常化が実現された。
3)列島改造計画
 田中角栄は首相就任前に発表した「日本列島改造論」に基づく大規模な内需拡大政策を実行に移して再度の円切り上げを防ごうとした。しかし、地価を中心に物価の高騰が続いた。
4)石油ショック
 1973年、第4次中東戦争が勃発すると、アラブ石油輸出国機構(OAPEC)はアラブ諸国の敵であるイスラエル支持国への石油の輸出を制限した。その結果、1974年には原油価格が約4倍に上昇したがこれを石油ショックと呼ぶ。日本国内では激しいインフレーションが発生し、さらに円高と輸出不振で経済混乱がおきた。スーパーなどではトイレットペーパー・洗剤などに買い物客が殺到して、けが人が出るほどの、激しいパニック状態となった。一方、深夜放送やネオンの自粛など省エネ政策が進んだ。1974年の経済成長率は戦後初のマイナスを記録した。
 さらに1979年にイランで革命が起きると、1979年から再び石油価格が上昇し、第2次石油ショックが引き起こされた。
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(東京書籍「図説日本史」より) 

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by YAMATAKE1949 | 2018-04-18 10:22 | 日本史講座 | Comments(0)