第77回(最終回)日本史講座のまとめ③(55年体制の崩壊)

3 55年体制の崩壊
1)自民党内閣の交代
 バブル経済と資産格差が広がるなかで、リクルート事件などの汚職事件がたびたび起こったため、内閣が次々と交代した。
 1987年、中曽根内閣に代わって竹下登内閣が成立し、1989(平成元)年に消費税3%が導入された。しかし、1988年には牛肉とオレンジの輸入自由化が決定され、その後、米の輸入自由化が問題となった。しかし、1988年にリクルート社からの政治家・官僚に対する献金疑惑が発覚し、竹下内閣は総辞職した。
 1989年、竹下内閣に代わった宇野宗佑内閣のもとで行われた参議院選挙では、リクルート問題と消費税の導入、さらに宇野首相の女性問題で自民党は大敗し、その責任をとって宇野首相は退陣したが、この内閣はわずか69日間という史上5番目の短命内閣であった。
 1990年の第1次海部俊樹(かいふとしき)内閣の下で行われた衆議院選挙では自民党が勝利をおさめ、衆議院では与党が、参議院では野党が多数を占めるという事態が生じた。このため、第2次海部内閣は、政治資金の新たな規制や小選挙区制の導入などを柱とする政治改革を行おうとしたが、自民党内部の抵抗にあって辞任を余儀なくされ、1991年に宮澤喜一内閣が発足した。
2)55年体制の崩壊
 1992年にふたたび東京佐川事件という汚職事件が発覚し、日本新党が結党されるなど、既成政党への不信感は一層強まった。そして、1993年に宮澤内閣の内閣不信任案が可決されると、自民党は分裂し、さきがけと新生党が結成された。さらに自民党は総選挙で敗北したため、1955年の結党以来はじめて政権政党の座をおりた。
 代わって、8党派連立による細川護熙(もりひろ)内閣が成立し、政治改革法案を成立させたが、政治資金をめぐる疑惑で辞任を余儀なくされた。つづく羽田孜(はだつとむ)内閣も連立与党内の対立から総辞職し、自民党・社会党・さきがけによる村山富市内閣が、1996年に3党連立による第1次橋本龍太郎内閣が成立した。しかし、政策をめぐる対立から連立が解消され、支持政党をもたない無党派層が増えるなか、同年、自民党単独の第2次橋本内閣が成立した。
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(東京書籍「図説日本史」より)
 さらに1998年、小渕恵三内閣は、参議院の議席数が野党優勢であったため、自由党・公明党と連立して政権の維持につとめた。そして、自由党が分裂したため、自由党・公明党・保守党の3党連立による第1次森喜朗(よしろう)内閣・第2次森内閣・第1次小泉純一郎内閣がつづいた。さらに保守党が自民党に合流すると、自民党・公明党による連立内閣がつづくなか、2005年、第2次小泉内閣は総選挙で圧勝し、新たに成立した第3次小泉内閣郵政民営化を実現させて、翌2006年に総辞職し、安倍晋三内閣が成立し、教育基本法の改正・防衛庁の省への昇格などを行った。しかし、2007年の参議院選挙で民主党が躍進して参議院の議席数が野党優勢となるなか、安倍首相は辞任し、代わって福田康夫内閣が成立したが、政治をめぐる動きはいぜん不安定である。

 

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by YAMATAKE1949 | 2018-05-17 09:38 | 日本史講座 | Comments(0)