南東北旅行記① (会津若松 鶴ヶ城)

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(南東北旅行関連地図)

 私たち夫婦は、11月1日から「JTB旅物語南東北ベストハイライト3日間」のツアーに参加してきました。参加者は38名で年配者が多く、京都からは女性ばかりのカメラ愛好家のグループも参加されていた。 私たちは大阪駅から特急サンダーバード5号で7時40分に出発し、予定より10分ほど遅れて金沢に10時35分頃に到着した。金沢で北陸新幹線はくたか560号に乗り換え、10時56分に出発し、上越妙高に11時58分に到着し、そこから越後交通の観光バスに乗り、目的地の会津若松・鶴ヶ城に到着したのは午後3時30分頃だった。バスのガイドさんは新潟の人で、若く見えたがベテランでなんでもよく知っており、私たちの3日間の観光地巡りを上手に案内してくれた。
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(会津若松・鶴ヶ城)
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(会津若松・鶴ヶ城)
 
 鶴ヶ城の天守閣から見た景色は最高だった。
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(天守閣から見た景色)
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(天守閣から見た景色)
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(天守閣から見た景色)

ガイドさんやウィキペディアによると、鶴ヶ城は地元の俗称で、正式名は若松城である。その由来は1384年、蘆名氏(あしなし)7代当主の蘆名直盛(なおもり)が小田垣の館または東黒川館という館を造ったのが若松城のはじまりとされる。1589年、蘆名氏と連年戦いを繰り返していた伊達政宗は豊臣秀吉の制止を無視して蘆名義広を攻め、蘆名氏を滅ぼし黒川城を手にした。しかし、政宗は1590年(天正18年)に秀吉に臣従し、会津を召し上げられた。代わって黒川城に入ったのは蒲生氏郷(がもううじさと)で、1592年より大名に相応しい近世城郭に改造し、城下町を整備して町の名を若松に改めた。 
 若松城が有名となったのは、1868年の戊辰戦争である。新政府に反発した会津藩は1か月間も若松城に籠城したがついに開場された。この戦争の時に有名となったのが白虎隊で、戦争に際して会津藩が組織した、16歳から17歳の武家の男子によって構成された部隊である。白虎隊が 立てこもった場所が飯盛山で、白虎隊は町が燃えているのを城が燃えていると間違えて自刃した場所でもある。私は学生時代にこの山に登り、そこに白虎隊の人達が眠るお墓を見学したことを鮮明に覚えている。天守閣には飯盛山と案内されていたがよくわからなかった。
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(飯盛山か)
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(飯盛山か)
 鶴ヶ城には「荒城の月」の碑があった。
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(「荒城の月」の碑)
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(「荒城の月」の石碑)
  ここに石碑があるのは、「荒城の月」の作詞家土井晩翠が学生時代にこの城に訪れたことがあったからである。
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by YAMATAKE1949 | 2018-11-07 11:10 | 旅行記(国内) | Comments(0)