第60回日本史講座のまとめ④(独占資本主義の確立)

3 独占資本主義の確立
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
 大企業は、大戦景気で巨額の利益をあげ、戦後恐慌のなかでも、同一業種の企業同士が生産量や価格を協定して利益を確保するカルテルを結んで利益をあげ、経営基盤を強化した。さらに、大企業は大銀行と結合し、融資などを通じて多くの企業を支配し、生産と市場を独占する独占資本となった。なかでも三井・三菱・住友・安田の四大財閥は銀行を中心に支配力を強め、多くの中小企業などを吸収・合併し、様々な業種の企業を支配下に持つコンツェルンを形づくった。また、大戦景気のなか、化学工業などを中心に急成長をとげた日産・日本窒素などの新興財閥とよばれる企業もあらわれた。
 この結果、1924年には1~2%にすぎない大企業が全株式会社の資本金の62%を占めた。そして、大企業は、1917年に日本工業倶楽部(くらぶ)を、1922年には日本経済連盟会を結成して、結束を強めた。
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
4 中小企業と農業問題
1)中小企業
 明治以来、織物業・製糸業・輸出雑貨工業などは中小企業によって担われていたが、第一次世界大戦中からは機械工業にも中小企業が増加した。これらは、劣悪な工場設備や低価格・資金難などに苦しみ、不況になると倒産をくりかえし、また、大企業の支配下におかれ、戦後不況のなかで深刻な問題となった。
2)農業
 農業は、鉱工業の発展にくらべ、著しく遅れていた。鉱工業生産は1914年から1926年にかけて約2倍に伸びたが、農業生産はおよそ10%しか増えなかった。この頃の農家の4分の3が1町歩(約1ha)未満の零細経営であり、約70%の農家が何らかの形で小作をしていた。一部の自小作農民の経営は向上していたものの、多数の小作農民は小作料の負担に苦しんでいた。そのうえ、米の需要は増えたが、朝鮮や台湾から安価な米が移入されたことや、高い肥料代によって、農家の経営は苦しく、小作争議が起こるようになった。しかも、就業人口の半分近くが農業従事者であったため、農業問題は深刻な社会問題でもあった。
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(東京法令「日本史のアーカイブ」より)

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by YAMATAKE1949 | 2017-06-01 11:33 | 日本史講座 | Comments(0)