2013年 02月 17日 ( 1 )

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(浜島書店「アカデミア世界史」より)
<生涯>
 1599年4月25日、イングランド東部のハンティンドンの町でオリヴァー・クロムウェルは生まれた。彼の家はジェントリーに属しており、また母親を通して熱心なピューリタンとして成長した。彼が29歳の時チャールズ1世の第3議会が招集され、彼は初めて議員となった。この時、議会は国王に対し「権利の請願」を提出した。翌年、国王は議会を解散し、親政を始めた。ところが、スコットランドで反乱がおこると、国王は反乱鎮圧の費用をえるため議会を招集せざるをえなくなった。この時、議会と国王ははげしく対立し、ついに1642年に両派は武力衝突する内乱となった。当初は国王軍が優勢であったが、議会派のクロムウェルは熱心なピューリタンを中心とした軍隊を組織してもりかえし、ネーズビーの戦いで国王軍を破った。この頃、議会派内では国王との和解を主張する長老派と徹底した改革をめざすクロムウェルの独立派との対立が表面化した。一方、軍隊内部においても一般の兵士たちが、成年男子による普通選挙を主張する水平派を組織し、クロムウェルたちの独立派と対立した。クロムウェルは水平派と組んで議会から長老派を追放し、国王を「人民の公敵」として処刑し、共和制を実現した。クロムウェルはまもなく水平派の指導者を弾圧するとともに、アイルランドへの遠征を開始した。さらに1651年「航海法」を定め、第1次英蘭戦争でオランダを破った。この頃、クロムウェルはみずから終身の護国卿に就任して、武力による独裁体制を確立した。このような政府に対して議会が反発すると、クロムウェルは議会を解散し軍政官制度とよばれる軍人による政治を開始した。しかし反政府運動はさらに活発となり、このような情勢の中でクロムウェルは心労と、さらに最愛の娘エリザベスの死と看病疲れの身体をインフルエンザが襲い、59歳でこの世を去った。
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