2013年 08月 26日 ( 1 )

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(帝国書院「エスカリエ」より)
6 ロシア革命
1)三月革命
 ロシアでも戦争の長期化により民衆の生活が苦しくなった。1917年3月、ロシアの首都ペトログラード(現在のサンクトペテルブルク)で労働者のストライキが起きると兵士もこれに加わり、労働者や兵士の代表機関ソヴィエト(議会)が結成された。民衆の闘いは皇帝(ツァーリ)の専制政治打倒をめざす運動に発展し、皇帝ニコライ2世は退位し、議会の自由主義派が臨時政府を樹立したが、これを三月革命と呼ぶ。
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(帝国書院「エスカリエ」より)
2)十一月革命
 臨時政府は、イギリスやフランス両政府の支持を受けて戦争を続行した。これに対し、ボリシェヴィキ(のちのロシア共産党)の指導者レーニンが亡命先のスイスから帰国して戦争の継続に反対すると、民衆はボリシェヴィキを支持するようになった。この民衆の支持を背景に、11月になるとボリシェヴィキはケレンスキーを首相とする臨時政府を倒しソヴィエト政権を樹立した。これを十一月革命と呼ぶ。
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(東京書籍「新選世界史B」より)
7 一党独裁と戦時共産主義
1)ソヴィエト政権の政策
 レーニンの新政権は、「土地に関する布告」により、地主の土地を没収し無償で農民に分配された。また、鉄道や銀行などの国有化を進め、ソヴィエト制度を全国に広げていった。対外的には、「平和に関する布告」を出し、全交戦国に「無併合・無賠償・民族自決・講話の即時締結」などを呼びかけた。さらに、秘密外交の廃止を宣言し、旧ロシアが結んでいた秘密条約を暴露して旧ロシアの権益の放棄を宣言した。
 1918年1月、憲法制定議会の選挙でボリシェヴィキが敗北したため、レーニンは議会を解散させ、ボリシェヴィキによる一党独裁をはじめた。
2)対ソ干渉戦争
 1918年3月、ソヴィエト政府はドイツとブレスト・リトフスク条約を結んで単独で休戦した。革命の波及を恐れるイギリス、フランス、アメリカ、日本は軍隊を派遣して反革命軍を援助した。これを対ソ干渉戦争と呼ぶ。これに対してソヴィエト政府は、世界の革命運動を推進するためにコミンテルンを結成して対抗した。また国内では、農民から強制的に食料を徴発したり工業を国有化するなど、戦時共産主義と呼ばれる政策をとり、1920年代までに反革命軍を鎮圧した。
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