2013年 08月 27日 ( 1 )

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(帝国書院「エスカリエ」より)
  Ⅱ ヴェルサイユ体制
1 ヴェルサイユ体制の成立
1)パリ講和会議
 第一次世界大戦が終わると、1919年1月からパリ講和会議が開かれたが、ドイツをはじめとする敗戦国やソヴィエト政府は招かれなかった。この会議では、アメリカ大統領ウィルソンが大戦中に発表した14か条の原則にもとづいて討議された。しかし、戦勝国が自国の利益を優先したため、1919年6月ドイツとの間で調印されたヴェルサイユ条約では、ドイツに植民地の放棄、軍備制限、賠償金支払いなどが課せられたように、敗戦国を犠牲にして、一部戦勝国が利益を分配することになった。
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(帝国書院「タペストリー」より)
2)ヴェルサイユ体制
 ウィルソンの提案にもとづいて国際平和期間として国際連盟が設立されたが、これにもドイツとソ連は加盟を認められず、アメリカも1823年に出されたモンロー宣言にもとづく孤立主義をとる議会の反対により参加しなかった。
 こうして生まれた大戦後の新しい国際秩序はヴェルサイユ体制と呼ばれるが、イギリス、フランスなどの利益の重視と、ドイツへの報復、ソヴィエトの敵視とともに、連合国の植民地の維持を目的とするものであった。また、この体制はアメリカの経済力に依存していたため、1929年にアメリカで大恐慌が発生すると、大きくゆらいだ。
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(帝国書院「タペストリー」より)
 世界史講座の参加者から、このようなヴェルサイユ条約はドイツの反発を招くのは当然である。という感想が出された。ヒトラーはドイツ人の反ヴェルサイユの感情を利用して政権を取り、第二次世界大戦を起こしたのである。このような歴史の反省の上に立って「ヨーロッパ連合」が成立したのである。
 次回、第43回世界史講座は、9月14日(土)午後2時より、「ワシントン体制の成立」「ドイツの復興と国際協調の進展」「大英帝国の変容とフランス」「イタリアのファシスト政権」「帝国の解体と東欧諸国の独立」をテーマに行いますので、多数の参加を期待しています。
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