2018年 01月 29日 ( 1 )

 第71回日本史講座は、1月27日(土)午後2時より受講者6名で行われました。
6 民主化の波と二・一ゼネスト
1)インフレーションの克服
 戦時中の巨額な軍事費のための国債乱発・物資不足・軍隊からの復員・外地からの引き上げなどによる人口増加で食糧難に加えてインフレーションが激しい勢いで進み、1946年、幣原内閣は金融緊急措置令を出した。従来の紙幣の流通を停止して新紙幣を発行し、現金は一人100円にかぎって新円と交換し、他は預金として封鎖し、預金の現金化を制限したものであったが効果はなかった。生産の拡大をともなわない通貨制限は有効でなく、大衆の生活を苦しめ、現金でしか売らない闇業者のもとに新円が集中して「新円成金」を生み出しただけに終わった。
2)産業の立て直し
 こうした経済危機を打開するために第一次吉田内閣は基礎産業である鉄鋼と石炭の生産に重点を置く傾斜生産方式をとり、次の片山内閣はこれを強化して復興金融金庫から多額の融資をおこなってかなりの効果を上げた。しかし、これと並行して進められた低物価と低賃金政策はインフレーションの進行を抑えることができなかった。さらに融資先をめぐる汚職として昭電疑獄事件が起こり、片山内閣のあとを受けた芦田内閣はこの汚職事件で総辞職した。
3)高まる労働運動・農民組合
 総司令部が出した五大改革指令が国民に伝わると、労働組合や農民組合、民主団体の結成につとめ、地域や職場で生活の再建に取り組んだ。
 大日本産業報国会などの翼賛団体が解散されると、企業ごとに労働組合が結成されていった。1946年後半には、賃上げを求めるために、ストライキや労働者が業務や管理・運営する生産管理闘争がさかんになった。8月に社会党を中心に右派の日本労働組合総同盟(総同盟)が、共産党を中心に左派の全日本産業別労働組合会議(産別会議)が結成された。
 当時官公庁の賃金は民間の45%程度であったため、全官公庁労組共同闘争委員会(共闘)が発足し、13組合、175万人の官公労働者が組織され労働運動は急速に盛り上がった。共闘は公務員の賃上げを求めたが、吉田内閣はこれを拒絶した。そのため、1947年2月1日に官公庁と民間の労働組合の労働者650万人のゼネラル・ストライキ(二・一ゼネスト)を行うことを決定した。しかし、ゼネスト決行前夜、マッカーサーは吉田内閣に命じてこれを中止させた。
a0226578_10415914.jpg
(東京法令「日本史のアーカイブ」より)
4)民主化の波
 五大改革指令のもとで女性は社会的な地位向上を求めて活動をはじめ、農村では地主による土地取り上げや強権的な農産物供出に反対し、1946年に日本農民組合が結成された。部落解放運動団体の再建もはかられ、水平社を受け継いだ部落解放全国委員会が結成された。

[PR]