Ⅱ 枢軸の形成と国際関係の緊張
1 イタリアのエチオピア侵略
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資料⑤(第一学習社「最新世界史図表」より)

上の資料を参考にして次の問題に答えよう。
問⑭ エチオピアを侵略した国はどこですか。
また、侵略の背景には何がありましたか。
問⑮ エチオピア皇帝は侵略に対して国際連盟に提訴したが、なぜ効果を上げることができなかったのですか。
問⑯ エチオピアへの侵略はその後の歴史にどのような影響を与えたか調べてみよう。
(解説)
 イタリアのムッソリーニは、世界恐慌で経済がゆきづまると、対外膨張政策をおしすすめようとしたが、バルカン半島や地中海は列強の勢力が強かったのでエチオピアを侵略の対象とした。当時のエチオピアはアフリカで数少ない独立国であり、列強の支配をまぬがれていたためである。1935年、イタリアがエチオピアに侵入すると、エチオピア皇帝は国際連盟に訴え、連盟はイタリアへの経済制裁を決議した。しかし、強制力を持たず、また国連未加盟のアメリカから石油を輸入できたため経済制裁は不徹底に終わり、1936年、イタリアはエチオピアを併合した。国際的に孤立したイタリアはドイツに接近し、1936年、ベルリン=ローマ枢軸と呼ばれる協力関係が成立した。同じ1936年、日独防共協定が成立し、1937年にはイタリアも加わわって三国防共協定が成立し、ファシズム諸国間の結びつきが強化され、イタリアは国際連盟から脱退した。
【課題】
①満州事変の背景には、日本の戦後恐慌・関東大震災・昭和恐慌による農村の疲弊などを打開するために対外侵略へと進んでいったと授業展開しているが、果たしてそれでいいのか。明治維新以降の日本の近代史は、日清・日露・第一次大戦・シベリア出兵など経済的背景に関係なく他国を侵略していった。日本の軍部は、チャンスがあればいつでも対外侵略を狙っており、満州から中国全土への侵略はむしろ軍部の方針であったのではないか。そして戦争を拡大することによって戦争に勝つための政治体制づくりを進め、日本は軍国主義体制を確立していいったのではないか、これについて議論をしてほしい。
② 日本人は戦争に対して被害者意識は強いが、加害者意識は非常に弱いと思われる。そこで南京事件を取り上げ、なぜこのよう蛮行が日本軍によって行われたのかを生徒に考えさせる必要があると思われるが、これについて議論してほしい。
③ なぜ日中戦争のつぎに突然イタリアのエチオピア侵略へと授業を進めていくのか、授業の構成について議論をしてほしい。

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