(オデッサの散策のつづき)

(エカテリーナ2世の像)
オデッサの町は、ロシアの女帝エカテリーナ2世によって18世紀末に建設された。そのためこの町にはエカテリーナ2世の像が設置されていた。

(ポチョムキンの像)
彼女の像の下にはポチョムキンの像があった。ポチョムキン公爵はロシアの軍人であり政治家であり、エカテリーナ2世の愛人でもあった。彼が病没したのが1791年であり、彼の名前を付けた戦艦で反乱が起きたのが1905年のことである。だから彼は死んでから100年以上も経って世界的に有名となった人物である。

(ギリシア風の建物)
この町には世界中の富豪が集まり、ここに住居を構えたが、この町がギリシア時代から港町として栄えていたこともあり、富豪はギリシア風の建物を好んで建てた。

(貿易港オデッサ)
この町は、今も貿易港として活躍している。オデッサから輸出している商品は、小麦やひまわりである。ひまわりは油などに使用されるが、ここから輸出されるのは、花をそのまま輸出するとのことである。

(パッサージユのアーケイド)
この町には、外壁を彫刻で飾った19世紀のアール・ヌーヴォー建築がたくさん残っている。その代表的なものがパッサージュのアーケイドである。

(おもしろい外壁の建物)
私たちが通りを歩いていると、おもしろい外壁をした建物が目に付いた。この建物は、外国の富豪が建てたものであるということだ。そこには、大きな丸い玉を2人の男が担いでいる。これは一体何を表しているのかとガイドさんに聞いた。
さて、このブログを見て下さっている皆さんは、何を表していると思いますか。もしわかったらコメントに答を書いて下さい。

(パルチザンの栄光博物館の入口)
午後は、バスでパルチザンの栄光博物館へと向かった。市内から北西15㎞ほどにある。第二次世界大戦中、ナチスドイツの侵略に対して抵抗を行ったパルチザンが隠れ住んだ地下の洞窟が博物館として展示されている。パルチザンとは、占領軍に対する抵抗運動や革命戦争における非正規の軍事活動、またそれをおこなう遊撃隊を意味する。

(地下の台所)
この洞窟は、もともとは町の建設に使われた石灰岩の採掘場であった。そこに大人の男子64人、女性5人、子供6人が1941年から9ヶ月間隠れて住んでいたのである。

(パルチザンが書いていた戦況の地図)
パルチザンは電信などを使って当時の戦況を把握しており、ソ連軍がドイツ軍に反撃している地図が書かれている。彼らはソ連の勝利を確信して闘っていたのであろうか。

(藁のベッド)
彼らは狭いベッドの中で絶えず死の恐怖におびえながら生活していたのであろう。また、彼らが子どもたちに勉強を教えていた場所も残っている。

(武器)
通路から入ってきた敵を倒す武器が敵から見えないように置かれていた。洞窟は真っ暗であるから敵は武器が見えない。

(壁に描かれた絵)
パルチザンの人達が描いた絵であるが、ヒトラーとナチスドイツを皮肉っているのであろうか。

(祈念の塔)
残念ながらパルチザンの人々は全員ドイツ軍によって殺された。パルチザンを支援していた農民の中に、情報をドイツ軍に提供した者がいたためである。パルチザンの人々の慰霊を祀るためであろうか、博物館の横には祈念の塔が立っていた。