到着後、私たちは現地ガイドのアレックスさんの案内でルクセンブルクの観光へと向かった。アレックスさんは30代の男性でガイド以外にもメディアの通訳の仕事を持っているとのことであった。彼は英語で説明し、それを添乗員の中川さんが日本語で通訳してくれた。
彼の話では、ルクセンブルクは963年、アルデンヌ家のジーゲフロイト伯爵が、今の首都の領土に城を築いたことに始まる。その当時、砦を“ルシリンバアック”(小さな城)と呼んでおり、それが変化してルクセンブルクとなった。面積は神奈川県とほぼ同じで、人口は約56万人でそのうち49%が移民である。公用語はルクセンブルク語(ドイツ語がフランス語の影響を受けて成立したもの)、フランス語、ドイツ語であるが、ほとんどの人は英語も話すことができるため、ルクセンブルク人は4カ国語を話すことができる。
私たちは憲法広場の東にあるノートルダム大聖堂へと向かった。

この大聖堂が建立されたのは 17 世紀のことで、当初はイエズス教会として造られ、1870 年に大聖堂へと昇格した。主に後期ゴシック様式の建築であるが、ルネッサンスやバロックの要素も取り入れられている。
大聖堂の内部には荘厳なステンドグラスを見ることができた。




大聖堂の見学後、私たちは大公宮へと向かったが、途中に赤・白・青のルクセンブルクの国旗が立っている広場に女性の銅像が見えた。

この広場の名はクレール・フォンテーヌ広場でそこに建っている銅像はシャルロット・ルクセンブルク大公である。1919年に即位して1964年に息子に譲るまで在位の期間は長く、その間の業績も含めてルクセンブルク国民に人気が高い。
大公宮は大聖堂から10分ほどで到着したが、思ったほど立派な建物ではなかった。

この建物は15世紀頃に市庁舎として建造されたが、1554年に火薬の爆発により破壊され、1573年頃よりアダム・ロベルティにより再建された。1891年より大公宮となり大公の執務室兼迎賓館として使われている。
正面のアラベスク模様は当時のままの面影を残している。

大公宮を見学した後、私たちはルクセンブルクの旧市街が見渡せる高台へとやってきた。
崖の上に造られた建物は砲台の跡であり、ボックの砲台と呼ばれている。

この砲台は963年にアルデンヌ伯が最初に築いた要塞である。



現在、ヨーロッパ連合の建物で13.000人が働いている。

この教会は、14世紀にドイツ皇帝でもあったルクセンブルク公アンリ7世によって建てられたが、その後、17世紀に戦火のため再建された。現在は女子刑務所として使われている。
ルクセンブルクの旧市街を観光した後、私たちはホテルへと向かった。