いよいよ最終回となった第77回日本史講座は、5月12日(土)午後2時より受講者6名で行われました。
 Ⅱ 経済大国化のひずみ
1 貿易摩擦の深刻化
1)ドル高への各国の是正対策
 1980年代に入ると、アメリカ経済は軍事費の激増などによって、巨額の貿易赤字と財政赤字という「双子の赤字」をかかえるようになった。とりわけ貿易赤字の要因は日本のアメリカへの輸出拡大にあり、1980年代にアメリカの対日貿易赤字が500億ドルに達した。しかし、現代のアメリカの貿易赤字に比べると、1980年の赤字は微々たるものである。2016年の統計では、対中国の貿易赤字は3470億ドル(約38兆円)、対日赤字は689億ドル(約7.6兆円)である。
 「双子の赤字」により、世界の基軸通貨であるドルへの国際的な信頼も大きく揺らぐようになったため、1985年、米・英・西独・仏・日の先進国5か国蔵相・中央銀行総裁会議(G5)が開かれ、実情を反映していないドル高を是正するために、為替市場への協調介入が決められた。この合意はニューヨークのプラザホテルで開かれたため、プラザ合意と呼ばれている。G5は、1987年にイタリア・カナダを加えたG7となり、急激なドル安を食い止めることが合意された。
 これをきっかけに急激な円高が進み、為替相場が1ドル=240円から1987年には123円まで上昇し、日本経済は一時的に円高不況に陥った。日本経済は、欧米諸国への輸出を急増させながら、景気の回復をはかった。この結果、欧米諸国との間に貿易摩擦が生まれるようになった。
2)貿易摩擦問題への日本の対応
 対米貿易黒字が急速に増えていったため、アメリカの批判は特に強硬になった。そのため、政府は自動車や鉄鋼・繊維などの輸出の自主規制を実施し、1986年には外国製半導体の日本市場への参入を保障する日米半導体協定に調印した。しかし、対米黒字は一向に解消されず、日米経済構造協議などを通して、アメリカは日本の市場制度や取引慣行から経済政策全般にまで批判のほこ先を向け、原則として1年以内に改善されないと、報復措置をとると宣言した。また、世界経済が不安定さを増していく中で、巨額の貿易黒字を抱える日本に対する国際的な資金協力の要求も高まっていった。
 1985年以降、日本の政府開発援助(ODA)費は急速に拡大し、1989年にはアメリカを抜いて世界第1位となった。そのため、貿易や資本投資などを通して、アジア諸国との経済的結びつきが一層強まることになった。
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(三省堂「日本史B」より)

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