(観光7日目)
 8月5日(金)午前9時に集合し、バスでマラケッシュ観光に出かけた。マラケッシュは、カサブランカ、ラバトに次ぐ人口百万人を超える3番目の都市で、フェズに次ぐ古い町である。1070年頃、ムラービト朝(ベルベル人の最初のイスラム王朝)の都と定められると、次のムワッヒド朝の都としても繁栄をとげた。しかし、マリーン朝になると、都が1269年にフェズに移され、一時衰退したが、15世紀半ばにサアード朝が再びここを都に定めると、政治・経済・文化の中心地として繁栄した。この国の名前がモロッコと呼ばれるのは、マラケッシュからきている。
 私たちが最初に訪れたのは、メナラ庭園である。オリーブの生い茂る庭園の中央には200×150mの貯水池がある。60㎞離れたアトラス山脈から地下水路で水を引き入れ、農業用水として利用されている。

   メナラ庭園の貯水池
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 次に私たちが訪れたのが、クトゥビア・モスクである。『地球の歩き方』によると、「1147年ムワッヒド朝の創始者、アブド・アル・ムーメンによって着工され、その息子ヤクーブ・ユーセフの時代にモスク部分が完成したが、後にメッカに対してモスクの位置が正しくないとして一度破壊され、その基礎部分だけが今も右側に残る。その後の1199年、ヤクーブ・エル・マンスールによってモスク部分が建てなおされ、現在見られるミナレット部分となった。」と書かれている。ところが、ガイドのフワットさんによると、メッカに対するモスクの位置を間違えるはずがなく、単に建物が古くなったので立て直しただけであると指摘する。確かにイスラム教徒にとって毎日5回メッカに向かって礼拝するのであるから、メッカの位置を間違えるはずがないという意見は正しい。しかし、建物が古くなったから建て替えたというのもおかしい。そんなに時代は経っていないし、もし古くなっていたなら修築すればいいはずであり、場所を移転させる必要はない。私の推測では、ミナレット(塔)とモスクの位置を逆に建てたために、モスクを立て直したとする方が妥当性があるように思える。

  今も残るクトゥビア・モスクの基礎部分
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  クトゥビア・モスクとミナレット(塔の高さ約77m)
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 次に私たちが訪れたのが、バビア宮殿である。この宮殿は19世紀末に当時の宰相バ・アハメドの命によって建てられたもので、敷地面積は8ヘクタールある。大邸宅の周囲に広大な庭園を巡らし、豪華な個室が並んでいる。奥には、広くて明るい中庭がある。周囲の建物は、4人の妃と24人の側女たちの部屋がある。

  バビア宮殿
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 次に私たちが訪れたのは、サアード朝の墳墓群である。サアード朝(16C~17C)の代々の王が葬られていた墳墓群は、アラウィー朝のムーレイ・イスマイルによって周囲に壁を張り巡らされた。そのために1917年に空から発見されるまで、その存在は隠されていたのである。

 サアード朝の墳墓群(アル・マンスール王の墓)
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 昼食後、いよいよ私たちは、マラケッシュで最も有名なジャマ・エル・フナ広場を訪れた。この言葉は、死人の集会場という意味で、昔、ここには公開処刑場があった。この広場は、夜になって屋台が出たり、大道芸や水売りやダンスなどが行われ、日中に来てもあまり意味がない。ただ暑いだけで、喫茶店の二階からこの広場の様子を見ようと思った。今年の5月にこの広場の喫茶店で自爆テロがあり、フランス人が死んだと新聞に出ていたのを思い出した。どうせなら記念にその喫茶店に入ろうとしたが、その喫茶店はいまだに閉鎖されており、仕方なく近くの喫茶店に入った。

  ジャマ・エル・フナ広場(日中は閑散としている)
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 私は夜、ホテルを一歩も出なかったが、タクシーでこの広場まで来た人がいた。その様子を聞いてみたが、屋台も少なくあまり賑やかではなかったらしい。やはり、自爆テロの影響を受けているのだろうか。夏休みにもかかわらず観光客の数が少なく、日本人観光客も私たち以外のツアーを見たのは、1団体だけである。モロッコの産業の中心は、農業とリン鉱石と観光産業であるのに、観光客が減少することは、外貨獲得に大きな問題となる。

  観光客を待っているクチ(馬車)
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 広場を見学した後、私たちはバスでスーパーマーケットに向かった。私は去年、スペインやドイツに旅行して、現地のスーパーで安いワインを手に入れた。大変おいしかったのでモロッコ産のワインをぜひ手に入れようと楽しみにしていた。残念ながらそのスーパーは、ラマダンのためにお酒を販売していなかった。

 

 
 
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